2009年01月10日

ボッコボコ

12/30(火)〜31(水)
夜勤から明けて日勤。
帰路、自宅の並びにある弟宅へ立ち寄り、ウサギ=トロの世話をしたり、パソコンを拝借し、それなりに割りの合う年末限定のちとした小遣い稼ぎをするつもりだったが、ここのところ3時間、3時間、今朝方の仮眠では2時間、ま、MAXだったとしても3時間だった訳だが、そんな睡眠事情の折の所為か、実家で晩飯にありつくと、如何ともし難い激しい睡魔に襲われ、22時頃、帰宅すると間もなく就寝。

起きると5時。ぐっすり、たっぷり熟睡することが出来たが、かかる最近の睡眠事情から、もっと眠っていたかったが、どうにも引き続いて眠れる予感皆無故、ならば本年最後となる朝の分の深い思索を懇ろなるものにしようと、気合十分、思索の間に篭った。
8時、昨晩寄れなかったことで、朝も早よから弟宅へ。
つい最近、餌も食べず、心配をかけていたトロだったが、ここへ来て元気を取り戻し、今現在は頗る元気だ。それは、その動きからも、餌の減り方からも一目瞭然だった。
そして、主人が留守だったからだろうか、ま、世間的にいわれている「ウサギは寂しいと死ぬ」は嘘にしても、今日は珍しく、やけにオレへの接近を試み、何時もは余り身体を触らせないのだが、撫でてやると目を細め、随分と甘えていた。ま、兎に角、元気で何よりだ。
そんな嬉しいこともありながら、実に困ったことに、拝借しておいてなんだが、古いからか、そもそもの性能よろしくないのか、メモリー残量の不足からか、パソコンの動作状況が非常によろしくなく、途中、実家で昼食を摂ったり、自宅に戻り夜勤に出る準備をしたりしたが、結句、4時間を越える作業を以ってしても、年末限定の小遣い稼ぎはその準備段階の、それもほんの入り口の段階に留まった。
つまり、4時間を越える作業への報酬は坊主。収入0という訳だ。
ぎゃ〜っ
というか「ふざけんなバカヤロウ」とか「があーっ」とか雄叫びを上げ、坊主憎けりゃ、基、坊主は憎いに決まっているし、動作の遅いパソコンも憎いので、置き場所の関係で、鉄拳制裁は無理だったが、その代わり鉄脚制裁を加えてやった。
これは、例え血の繋がった実弟の物とはいえ、他人の所有物に対して何てことをするのだとか何とか指摘されたって知ったこっちゃない。
オレは極自然に然るべき処置を、実にオートマチックにやってみただけだ。
但し、これは2回。それ以上は流石に人間とはいえない。鬼だ。
因みに、1回目は反射的なもの。そう、条件反射だ。瞬きのようなものだから止めようなどと思える筈もない。
2回目は余力。波が押しては返すようなもの。慣性の法則に従っているとでもいえばよいのだろうか。
で、3回目で我慢出来れば人として立派だ。そう、オレは我慢したね。弁償するのも難儀だし。そもそも例え血の繋がった実弟の物とはいえ、他人の所有物だし。
そう、そう、本年の締め括りにあたり、今年、立て続けに2台のノートPCを鉄拳制裁により破壊したことを思い出した。これは、利便性豊かであることをその存在の意義としている精密機器の怠慢に対する、厳しいオレの正義感がいよいよ炸裂した素晴らしい事件だった。
ま、作業が遅々として進まなかったことで、美味しい年末年始限定の小遣い稼ぎは夢のまた夢と化したが、準備段階の入り口とて、今後の展開に全く無意味ではない筈なので、ま、フリーズ時間に、久しぶりに文筆業の先輩が月刊誌に連載している投稿番組へのネタを考えることも出来たので、辛くも由としておこう。

夜勤。
運良くという意味では何とか丸々1ラウンド10分を、運悪くという意味ではその決着のシーンを見逃したが、ま、待機中とはいえ、仕事中だったことを考えれば、やはり運良くといった方がよいだろうか、TBSテレビで放映した大晦日恒例の格闘技イベント『ダイナマイト』でオレの同世代ヒーロー桜庭和志VS田村潔司を観戦することが出来た。
そう、同級生にしてかつての同門の先輩後輩という微妙な関係の二人。
オレンジ色のトランクスの桜庭。真っ赤なトランクスの田村。これほど派手な出で立ちでありながら、その強さ、クールさから決して色物的な臭いのない二人。
桜庭の師匠・高田延彦の引退試合の相手は、実にこの田村。それも田村のKO勝ち。
高校卒業してUWFに入門した田村に対し、大学中退で入門した桜庭は後輩で、その後、進むべき道を違えて尚、礼儀正しい桜庭は田村に対して敬語だ。
多くを語りたがらない二人だが、その微妙な関係故、様々と胸中複雑なものもあろう。
礼儀正しいといえば、全身黒タイツのショッカーの戦闘員を引き連れ、あの映画『スピード』のテーマ曲で会場に現れるや覆面姿も颯爽に一礼する桜庭。
流石はプロレスラー。
国技やお家芸を標榜するに飽き足らず、礼儀までをも云々しておきながら、まともなお辞儀一つ出来ない慇懃無礼なアスリートたちに見習ってほしいものだと思った瞬間、脇から小さい自転車に跨って登場した桜庭。
外科処置を施し復活した己を、秘密結社ショッカーの改造人間・仮面ライダーに見立て、赤いマフラーを纏ったその姿は、さながらポッパー1号・本郷猛かポッパー2号・一文字隼人のイメージだろう。
あれ!?
そう、覆面姿の男は、何と桜庭に扮した親友の野球選手、阪神タイガース・下柳投手だったのだ。下柳のキャラクターになかっただけに笑った。やってくれるね。そして、礼の感じがソックリ。上手かった。拍手!!!
でも、因縁浅からずといわれながら、これといったエピソードが一切出てこない、因みに、桜庭は、「昔のことは忘れました」と言っているそうだが、試合は非常に緊張感漲るもので、オレが見たその1ラウンドだけでも、ギブアップ狙いで関節を取りに桜庭は、顔面が腫れ上がり、まともに目も開けられないほどにボッコボコに殴られていた。
相変わらずだが、これぞ桜庭が見ている者の心をぐっと掴んで離さないところだ。
そう、当に“ラッキーパンチ”と称されるような、まぐれで勝つかも知れない打撃に拠らず、人体への造詣と技術がなければ勝負を決するものとはならない関節技を仕掛けてゆく。
で、これは勝者となっても、大抵の場合、技を決めきるまでに相当殴られることになるので、敗者よりダメージを受けているという、何とも損な感じもするが、それ故、見ている者に、人道的且つ芸術的との確信を強くさせる格闘スタイルなのだ。
で、で、結果は、判定で辛くも桜庭が負けてしまった。それでも酷なことを言うが、桜庭がボッコボコに殴られながら己のスタイルで戦ってくれたお陰、2008年の幕をご満悦の内に閉じることが出来た。
ありがとう桜庭!!!
そして、ありがとう田村!!!

で、一年“深い思索”の総決算!!!

   [分] 小計  一日平均
 1月  3515  113.4
 2月  2790   96.2
 3月  2120   68.4
 4月  3290  109.7
 5月  2540   81.9
 6月  2125   70.8
 7月  2315   74.7
 8月  2295   74.0
 9月  2040   68.0
10月  3625  116.9
11月  3460  115.3
12月  5370  173.2
合計 35485 一日平均97.0

ぎゃ〜っ
おめでとうオレ!!!
そして、ありがとう、それを可能ならしめた山積する様々な困難どもよ!!!
でも来年は万代を決する一年と定め、引き続き、否、今まで以上にボッコボコに殴られても、オレは必ずオマエらの関節を取る!!!
そう、“ラッキーパンチ”ではなしに、虎視眈々とその隙を窺い、雨あられの如く繰り出される運命や宿命と呼ばれる打撃の間隙を縫って、ギブアップで勝ってやる!!!
・・・多分。


あ、それから、日を跨いで間もなくすると、文筆業の先輩からメール。稀代のペテン師・誑しの大悪人が昨29日に神奈川県の自宅で死去したとのニュース。
何かまた新しい時代の、新しい年の本格的な幕開けといった印象を受けた。


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2009年01月09日

お知らせ:『酔いどれ天使な二人』第八話アップ!

嬉しいね〜ぴかぴか(新しい)

光栄にも昨今、DVDばかり観ては、大酒を喰らいゴロゴロ寝てばかりいるようなオレが、文筆業の先輩のブログ『まっと式』に投稿させて頂いている、オフの先輩のありのままの姿をそのファンに曝す事を目的とした、

“KT氏の証言”

が下敷きとなっている、岡山流通ハイウェーセンターHPに連載中の


『酔いどれ天使な二人』
の第八話がアップされた。

今回も4ページでの掲載。
勿論、日本人離れした先輩独特の色彩センスを存分に堪能出来るオールカラー
そして、今回はお正月ネタ(?)です。

ともあれ、是非、ご笑覧あれ!!!

ひらめき岡山流通ハイウェーセンターHP『酔いどれ天使な二人』はこちらをクリック!

ひらめき文筆業の先輩のブログ『まっと式』はこちらをクリック!
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2009年01月08日

こんな作品を観た−28

12/27(土)〜29(月)
◎『8 1/2』
イタリアの巨匠フェディリコ・フェリーニ監督の代表的作品であり、監督自身の自伝的作品。
一口に言えば、創作に行き詰まった映画監督の苦悩を現実と幻想を交えて描いたものといったところだ。
スタイリッシュというのだろうか、ともあれ、遊び心満載の映像と展開で、映画監督である主人公のある種の苦悩を表現しているが、ともすると奇を衒い過ぎてるのでは?とも思ってしまうが、その独特の世界観に慣れると、その説明がましくなく、分からせるというより、感じさせようとする、そう、いうなれば、受け手の感性を信じ、また、刺激しようとするスタイルに、分かり辛いとの当初の感想も消え失せ、還ってある種の陶酔感こそ得られる稀有な作品だった。
いずれにせよ、超売れっ子映画監督として絶大な期待を持たれる主人公の、実は主義主張を何も持ち得ていないまま、仕事の段取りばかりが組まれていく恐怖と苦悩の様が、オチとして描かれている辺りが、この映画がスタイリッシュで前衛的であることで、一際これを面白くさせていた。
フェリーニ作品には欠かせない名優マルチェロ・マストロヤンニさんが、どうにも痩せ過ぎた、といってもマルチェロ・マストロヤンニさんも痩せてはいないが、ま、それは兎も角、痩せ過ぎたトランペッターのメイナード・ファーガソンといった風に見えてきて、何だか可笑しな感じだった。

◎『ニューシネマパラダイス』
映画が大好きで田舎町唯一の劇場の映写技師となり、失恋から町を出て、後に超売れっ子映画監督となる青年の半生を描いたノスタルジーたっぷりの物語。
内容よりもまず、先に観た作品同様、奇しくも主人公が映画監督の話だったことに驚いてしまった。
前半の少年期の話は、名作映画の特集のような番組で観たことがあったので、何処となく親近感のようなものを抱きながら見た。
主人公の幼年期を演じた狡賢い子役の男の子が、何とも微笑ましいいい味を出していた。
親父代わりともいうべき、親友の映写技師のおっさんもまた微笑ましいいい味を出していた。
ともあれ、この二人の年齢を超えた友情物語というべき作品でもあった。
構成として、冒頭、現代から入る。そう、30年も帰郷していなかった田舎町のお袋さんから、親友のおっさんの喪報を知らせる電話を受けるところから入り、その生い立ちを回顧するかのように物語がゆっくりと流れ出す。
後半部分まで、途中、この現代へ戻ることがなかったことはよかったが、オレはこの、そう、ジェームス・キャメロンの大ヒット映画『タイタニック』でもそうだったが、どうしてもこのパターンが、嫌いといわないまでも好きになれない。
映画として収拾をつけるために、前後にそういった話をくっつけて、それなりの形にし、あわよくば現代であるということで、更なる感情移入を誘っているような気がしてちと疎ましいのだ。
但し、この作品では、その前後にくっつけられたその鰭が意外と長かったのでダレそうにもなったが、とって付けた感は希薄だったので、これはこれでよかったのではないかとも思った。
それにしても、こういった男女のボタンの掛け違いによる恋愛の破綻は、日常よくあることだが、男と女のことが専門外である初心ともいえるオレにしてみると、これまたよく映画などで描かれている、再会した男女が一夜のベッドを共にするようなものに、驚きを禁じえない。
それも女の方は一回こっきりの情事を、一夜の夢のように位置付け深入りを避ける訳だが、この昔恋仲だった男に久しぶりに会った暁には一晩だけ身体を許すというシステムは、それほど日常盛んに行われている、いわばある種の礼儀作法とでもいうか、エチケットのようなものだとでもいうのだろうか?世の中、オレが考えている以上にスケベなヤツらの集まりだと感心さえさせられた。
それと、ひょっとしたら素晴らしい建造物を映像として残しておきたいとの思いからか、映画史に残る至高の名作といわれても、場面転換で建物の映像がちょいちょいそれなりの長さを以って差し込まれていたのは、作品自体が長いこともあり、ちとウザかった。

◎『ラマンチャの男』
実にドラム・コー(ビューグル)に明け暮れていた青春時代を送っていた訳だが、その初期の頃に出会ったレパートリーがこのテーマ曲だった。
で、そもそもは同じ町に暮らしていたのでその存在は存じ上げてはいたが、音楽や芸術のことのみならず、人生の様々なことで影響を受けた、後にラッパの師匠となる“ラッパの師匠”から、このレパートリーに取り組むにあたり、「原作はもう読んだか?」と聞かれ、この小説として、またお芝居や映画としても有名な作品、つまり、ある音楽に“原作”や“モチーフ”などというものの存在があるなどと、芥子粒ほどにも考えもしなかったオレに、「バカヤロウ」と、時代を超えるような優れた芸術作品には、必ずその背景となるものがあり、その背景に気を配らなくてはならないという、何も芸術の域には留まらぬ、人として大変に重要な感性を与えてくださった、そう、その切欠となった思い出深い作品が、この『ラ・マンチャの男』である。
そして、これは、所謂、名作といわれる小説を、自らが金を払って本屋で購入するという大事を成した人生最初の出来事となった。
いずれにせよ、これは単にそれを知っていたか、いなかったかを問われるものでもなければ、また、その概念の欠如を指摘されたに留まらず、何かを為すにあたり、そう、それもこちらから聴く人に対し仕掛けていく側であるにも拘らず、ただその曲を額面通りになぞる、ま、この場合、楽面(楽譜)通りになぞるとした方が的確かも知れない、つまり、漫然とした姿勢を叱責されたのだ。ありがたい話だ。考えれば考えるほどにありがたい話だ。あの十代半ばから二十代の始めまでの多感な時期に、こうして訓練されたことがどれほど自身の歴史上重要なことであったか。歳を重ねれば重ねるほどに感謝の思いも尚募る。
江戸っ子のお母様譲りのラッパの師匠の捲くし立てるようなあの威勢が、ラテン然とした勇壮なこの曲と共に懐かしく耳朶に響いた。
作品は兎にも角にもソフィア・ローレンさんが矢鱈と魅力的で、先日、観賞した『ひまわり』が幾ら名作と呼ばれようとも、オレのソフィア・ローレンはこのボロ着のソフィア・ローレンだという感想以上に大して何も感じなかった。
勿論、原作が、それこそ不朽の名作であるので、言わずもがなであり過ぎ、残念ながら、そこには取り分け新鮮な感動はない。
但し、20数年ぶりに観賞し、獄に閉じ込められたセルバンテスと、妄想のセルバンテス、つまり、ドンキホーテとを行ったり来たりさせる場面転換が、舞台でも有名なお芝居より、映画という利点が十分に活かされており、映像の灰色感の美しさや衣装の素晴らしさを感じることが出来てよかった。
黒澤明監督やフランシス・コッポラの爺様の影響がクローズアップされがちだが、ま、これは勿論、下衆の憶測の域を出ない話だが、こういった古典に『スター・ウォーズ』への影響や、『マトリックス』への影響を感じてしまう。当然、クリエイターご本人たちが意識などしなくとも、それこそ言わずもがなの普遍的真理として、自然と盛り込まれているともいえようが、特に今回そんなことも感じた。

テレビ『椿三十郎』
オリジナルの黒澤明監督作品に忠実だったので、可もなく不可もなくだった。
主演・織田裕二の張り切りぶりには、ちと白けるものがあった。が、その宿敵である室戸半兵衛を演じた豊川悦司は落ち着いていて、これまた可もなく不可もなくだった。
脇を松山ケンイチ、鈴木杏、中村玉緒さん、藤田まことさん、小林稔侍さん、西岡徳馬さん、風間杜夫 さん、佐々木蔵之介さんら豪華キャストが固めた。勿論、これはその役柄にもよるが、オレの観たところ風間杜夫さん、佐々木蔵之介さんの演技は頗る光っていたが、後はやはり可もなく不可もなくだった。
織田の演技も黒澤版の三船敏郎さんの物真似だったが、まさか監督の森田芳光さんも物真似の範疇を出なかったことは残念だった。

◎『あかひげ』
やっぱり素晴らしかった。
posted by ありきたり at 00:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月07日

2時間ないし3時間

12/27(土)〜29(月)
夜勤での仮眠。8時頃目が覚めてしまったので、恐らく、2時間くらい寝たことになる。この後、眠れる気がしなかったので、就業時間終了の9時を待って、帰路、実家で朝食にありつき、11時ちと過ぎに帰宅。
帰宅するなり懇ろなる深い思索を執り行い、DVDで映画を1本半観賞し、16時頃、眠気に任せて仮眠。
起きると22時。6時間爆睡。因みに、歯茎はまだ痛い。
実家で晩飯にありつきながら、途中からだがたまたま点けたテレビで『松本人志のすべらない話』を。勝俣が欽ちゃんの話でMVPに輝いていたが、そう大して面白くなかった、否、何度も萩本欽一本人を見かけてきたが、その非常識な態度に何時も釈然としない思いを抱かされてきた所為か、ちっとも笑えなかった。かといって、ゲストが大笑いするほど全体的にレベルが低かったように感じ、すっかり白けてしまったが、これは、まっちゃんの話を聞けなかったことに起因するともいえよう。
帰路、今日より福島の知人宅へと出掛けた弟の留守宅にお邪魔し、この『ありきたりな日記』の姉妹ブログをアップするためにパソコンを拝借。近々また留守番のウサギの様子を見に来ることになる予定だ。

爆睡している間に、かつてのボランティアの先輩である大阪出身の元体操のお兄さん・メルアドから以後“プーさん”とGOGOさん(人となりについては2008年08月15日アップ『GO高円寺』に詳しい)とから入電していた。
相変わらず夜勤に出ており、さっきまで爆睡していたこと、また、それ以前に抜歯後、歯茎の痛みに悩まされていることで、恐らく、明け方まで続くことであろうお酒のお誘いをお断りする。
政治の世界に足を踏み入れてから、なかなかグラスを傾ける機会のなくなったプーさん。
今年2回お誘いをいただいたが、幼馴染のデブイッセイの結婚式と夜勤とで再会叶わなかったので残念だ。
ちと大袈裟だが、共に日の当たらないところで自らの花を咲かせることより、後輩の栄誉を第一に東奔西走してきた気心の知れる同志だっただけに、是非、お会いしたかった。
そう、あの頃は仕事から帰ると間髪入れず合流し、明け方、一旦帰宅すると仕事へ出向き、帰るとまた合流し、夜通し区内を所狭しと縦横無尽に動き回っていた、一宿一飯を超えた、運命共同体のような3〜4年を過ごした。先輩後輩ではあるが、これは誤解を恐れずいうと、戦友といった感じだろう。
因みに、GOGOさんは、こちらからは連絡をつけることが出来ないが、避けられているのかと思えば、あちらからは連絡がくるという不思議な関係を続けている方で、そういった事情から、お誘いいただいたときでなければお会いできないこと明らかなので、またその機会を逸したことは、重ねて残念だった。
ま、とか何とかいっても、昨晩いただいたエビサクさんからのお誘いも、どう考えても直ぐに歯茎の痛みが癒えるとも思えなかったので、ギリギリまでエビサクさんを引っ張って、他のご予定を袖にすることのないよう、早めにお断りしていた。だからコンディションが許せばエビサクさんと一杯やっていた手筈だったので、いずれにせよ、今回は見送らざる得なかった。
それにしても、やはり突然のお誘いが多いのは相も変わらずだ。

そんなこんなで一人おとなしく夜通し懇ろなる深い思索とDVD観賞。
明け方就寝。しかし、3時間も寝るとまた目が覚めてしまう。

熱帯魚・ウロフタルマ90センチ、テトラ系60センチ、セネガルス&プレコ60センチ水槽の水換え。全く理由は分からないが、死に掛けて久しいウロフタルマの調子が、ここのところ頗る元気で、まあよく食べること。
昼過ぎ実家に顔を出し、テレビを見たり、親父と雑談に花を咲かせながらちと遅い昼食。
帰宅し、DVDで映画を1本観賞。
前回、エビサクさんが遊びにいらして以来、初めて自宅でテレビを観た。
オレが唯一その放映を楽しみにしていながらも流れを失い、ここのところトンとご無沙汰していた人気テレアニメ『ちびまる子ちゃん』。やはり素晴らしかった。
流しの食器類を片付け、実家で夕食にありつく。
新聞のテレビ欄を見ると、リメイクの、否、森田芳光監督版の、基、ニセの『椿三十郎』が21時より放映とのことで、急ぎ足で帰宅し、丁度、頭から観賞。
オリジナルに、否、黒澤明監督版に、基、本物に忠実だったので、可もなく不可もなくだが、主演の織田裕二の張り切りぶりには、ちと白けるものがあった。

22時、『椿三十郎』観賞中、何気に携帯を見ると、急ぎ足移動中にエージェントスミスMからメールが入っていた。
「24時頃伺います。握り寿司パーティーしましょう。」と。
今日目覚めると僅かながらに歯茎の痛みが癒えたような気はしていたが、それでも難儀なことに変わりはないが、オレに同じく、年末年始にも休みなどあり得ないデパート勤務のスミスM故、時間があるから遊びに来るという趣ではないことは重々承知しており、その激闘を激励させていただきたく、一瞬、迷いはしたが、職場で仕入れた握り寿司も既に手元にあるということで、飲むことにした。

24時ちと過ぎ、自らが勤める有名デパートの、所謂、デパ地下の上寿司を4人前も提げてスミスMは現れた。
先日の仕事納めでご馳走になったお寿司事情では不完全燃焼だった折、これは大変にありがたく、大変に美味しかった。
で、ある程度ビールをやったところで、お寿司にはやはり日本酒でしょうということでやった。
DVDで黒澤明監督映画『あかひげ』を観賞。その余韻から師弟について懇談。
寝不足故、直ぐに寝てしまうと思っていたが、話がピリッとしていたこともあり、どうにも泥酔することはなかった。

6時散会。7時就寝。しかし、3時間も寝るとまた目が覚めてしまう。
熱帯魚・アロアナ&ガー120センチ水槽の水換え。
今日は祝日扱いで減員体制だったので、21時からの夜勤故、出発までに随分時間があったように思え、夕方、実家で夕食にありつき、弟の留守宅に寄り、パソコンを拝借しようと思ったが、これがなかなか動作が鈍く、やる気が失せ、留守番ウサギの餌を足し、飲み水を取替え、出勤した。

ともあれ、どうもこの数日は、明け方寝ると2時間ないし3時間で目が覚めてしまうというリズムらしいが、二日続くと流石に頭がぼんやりする。

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2009年01月06日

誰の所為でもない

12/25(木)〜26(金)
夜勤から明けて日勤をこなし、帰路、実家で晩飯にありつき帰宅。
小一時間もすると激しい睡魔に襲われ22時就寝。
相も変わらず、歯茎の痛み癒えぬまま。痛み止めも効果なし。

携帯アラームのけたたましい電子音にて6時起床。
今日は当務。朝からの出勤。
出発ギリギリの時間まで、100日闘争終了するも、油断なく深い思索に取り組む。

今日はテナントの仕事納め。大方はこの年末年始も営業しているが、事務方が休暇となるため、一応、夫々の居室で納会のようなものを行っていた様子。
業務中でも構わないので、順繰りに顔を出し、どうか一杯やってくれと、オーナーである管理会社の居室に呼ばれる。
去年は随分とご馳走になったとの芳しい印象のままに、19時からの待機時間にお邪魔する。
更に去年のこの席では、室長が生き物好きで、是非とも自らの手で繁殖させたオオクワガタを貰って欲しいとのこれまた芳しい申し出があったのだった。
が、期待外れ。
寿司をとったので、もう少しいるようにと仰っていただくまま、どうやら寒そうだと早々に引き揚げようと浮かせた腰を、今一度、厚かましくも落ち着かせてはみたが、紙皿に4カンほど取り分けていただくと、到着したばかりの寿司は、あっという間に姿を消した。
どうやら100年に一度といわれる不景気の影響らしい。
厳禁にも、ならばこんな所に用などないと、これを潮に戻ろうと思ったが、ありがたいというか、何というか、ま、当然の如く生き物好きの室長に捕まり、今回は亀の話で盛り上がった。
そう、亀も飼ってらっしゃるのだ。それも繁殖させている金魚・らんちゅう同様、庭に専用のプールまで作っていらっしゃるとのこと。
仕方ないので、既に小一時間、空きっ腹にシコタマビールを流し込んでいたが、勧められるがまま、その後の30分は日本酒を、そう、一升瓶の1/3ほどを一人でいただき、ちとヨイヨイな感じで、勤務に戻った。

これは、あくまで自覚の及ぶ範囲においての話だが、その後、勤務もそれなりに、そう、何時も通りにこなしてはいたが、どうも先のヨイヨイが、テッペンを越えた辺りから、クラクラに変わり、まともにものを考えられないようになってしまった。
やばい
何だこれは?
飲みつけない日本酒の影響か?
そう思うや、推測の域を出ないものの、直ぐに答えは弾き出された。
痛み止め。
余りに効かないので、この直前に通常の倍服用していた。
無茶と思われるかも知れないが、時として体の大きさから、どんな薬も、ちと大目に飲んでもいいようなことをいわれたりするのだ。ま、今回、いわれなかったが、効かないのだから仕方がなかった。
で、それでも効かなかった。
で、で、飲酒と相俟って、可笑しなことになってしまったようだ。

嗚呼、踏んだり蹴ったりの仕事納めだった。
ま、たらふく寿司が食べられなかったのも、クラクラきたのも誰の所為でもないのだが・・・
posted by ありきたり at 15:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月05日

こんな作品を観た−27

12/23(祝:天皇誕生日・火)〜24(水)

◎『閉ざされた森』
『ダイ・ハード』、『レッド・オクトーバーを追え!』のジョン・マクティアナン監督。
出演はジョン・トラボルタ、コニー・ニールセン、サミュエル・L・ジャクソン。
「ジョン・トラボルタとサミュエル・L・ジャクソンといえば、クエンティン・タランティーノ監督『パルプフィクション』の名コンビじゃないか!?こりゃチェックしないと」と胸膨らませてはみたものの、冒頭、特殊部隊のヘリがジャングルを飛び回るシーンにガックシ。
そう、オレは軍隊だろうがヤクザだろうが、ドンパチものが好きではない。そして、ヘリコプターという乗り物も好きではない。
しかし、観ていく内にそのテンポの良さと、またそれとは裏腹というべきか、辻褄の合わないストーリー展開に、「あれ!?」っつってグングン引き込まれ、結句、相当にやられてしまった。
途中からこれは、メグ・ライアン主演(デンゼル・ワシントンの主演か?)『戦火の勇気』的な、そう、単なる巨匠・黒澤明監督の『羅生門』スタイルかと思いきや、ハードで緻密、そして、大胆で緊張感に富み、それもここが落ちと思えば、もう一重、二重に用意されていた結末は、その冒頭、また、展開中には露ほどにも感じられなかった、痛快な結末に、「ええ〜っ!?」っつって胸が空いた。
素晴らしい〜!!!
内容は、ジャングルに訓練に出たまま消息を絶ったレンジャー隊を捜索ヘリが見つけ出したとき、生存者の3名は味方同士で撃ちあっていた。しかし、救助された兵士たちは固く口を閉ざしたまま。
この原因究明に駆り出された刑事が、元レンジャー隊員だったジョン・トラボルタ。で、この非公式な尋問により、やがて、森で起こった事件について語り始めた兵士たち。しかし、2人の証言は矛盾に満ち、交錯している。で、で、この密林で起こったミステリーをトラボルタと女性士官が原因究明という話。

◎『勇者たちの戦場』
サミュエル・L・ジャクソン繋がりでチェック。
帰還の日も間近いあるイラク駐屯部隊が、最後の輸送任務に就が、武装勢力に襲わる。
若い兵士は親友を目の前で撃たれ、女性兵士は自分が運転していたトラックの助手席で同僚が焼け死んだのを目の当たりにする。
同じ部隊に軍医として同行していたのが、サミュエル・L・ジャクソンだ。
で、故郷アメリカに帰還したものの、生活に順応できなくなっていた、所謂、“イラク症候群”に悩まされるその三人を軸に話は展開していく。
アメリカで社会問題ともなった、異常な緊張状態が続く戦場と平和な日常のギャップからくるイラク帰還兵の喪失感を広くリサーチを行い、実際に元兵士たちが体験したエピソードを織り込んで作成されているだけにリアルだった。
この作品に好感が持てたところは、イラク戦争の善悪ではなく、戦場へ行けば兵士たちは心の傷を抱える事実を主眼においている点で、当時、軍により隠されていたその事実を赤裸々に綴っている。
そう、戦争に出ると生きるか死ぬかという最優先課題の下、精神を病むことなどないというインチキな定説を覆している作品だ。

◎『ブラック・スネーク・モーン』
これまたサミュエル・L・ジャクソン繋がりでチェック。
舞台はアメリカ南部の田舎町。畑仕事をしながら静かに暮す元ブルース・ミュージシャンの主人公がサミュエル・L・ジャクソン。
ある朝、道端で血だらけになって倒れている若い女を拾うが、この女、子供の頃の虐待の影響でセックス依存症となっていた超ヤリマン。
で、すぐに警察にでも届ければいいところだが、黒人であるが故に、警察など信じられない主人公。
で、で、女を看病し、人間として更生させようと孤軍奮闘する話。
弟に女房を寝取られ、ひっそりと暮す初老のブルースマンに扮したサミュエル・L・ジャクソンが実にいい。
また、血だらけ泥だらけ、おまけに鎖で繋がれたヤリマンに扮したクリスティーナ・リッチは、全裸も辞さずに、こんな極めつけの“汚れ役”を演じきるとは、まさにハリウッドのミューズの魂を見せつけられた。おまけに、すっかり痩せて“いい女”になった!
で、で、で、そのふたりが恋に落ちたりするのかと思いきや、主人公は、一応、この女の更生に成功し、ヤリマンぶりは治らないながらも、軍隊へ行っていた彼氏と結婚させる。
う〜ん、ハードな性描写もあるが、渋谷などに屯している家出女子中学生などに見せてあげたい良心的な作品でもある。

◎『コマンダンテ』
『プラトーン』、『JFK』、『ニクソン』など、“アメリカ”、“権力”といった硬派なテーマで映画作りを続けているオリバー・ストーン監督作品。
2002年2月、キューバの最高指導者、生ける伝説フィデル・カストロに試みた30時間に及ぶインタビューを編集したもの。
オリバー・ストーンは映画化とする際、当然、カストロ側から「あれは使うな」などのうるさい指示があるものと思いきや、それが全くなかったことを映画に入れていることが、質問に率直且誠実に答えていたカストロに対するある種の友情の証に思え、ちと感動した。
兎に角、革命に至るまでのカストロの青春時代、キューバ危機の真相、ケネディやニクソンなど歴代アメリカ大統領への感想、ベトナム戦争など興味深い話題が矢継ぎ早に上っていく。
因みに、女性関係について聞かれると、それまで率直に答えていたカストロが、公私はしっかり分けているという理由から、質問をはぐらかしたのは面白かった。
いずれにせよ、国民から長く愛される一国の指導者。カストロの人間としての魅力がよく分かり、やはり、アメリカがキューバを仮想敵国としたのは、アメリカ国内の結束を強めるためであったろうとの説を信じざる得ない。
ま、政治に興味のない人にとっても、見応えのある作品だと思う。
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2009年01月04日

こんな作品を観た−26

12/22(月)

◎ピーター・バラカン司会のWOWOWの音楽番組『JAZZ FILE: ルイ・アームストロング ライブ イン '59』
モダン・ジャズ以前のジャズがこんなに素晴らしい音楽だったとは」という触れ込みに、マイルス・デイビスを永遠のアイドルとし、また、モダン・ジャズを創り上げた、そのマイルスの師匠であるチャーリー・パーカーや憧れのディジー・ガレスピーたちを尊敬するオレとしては、「喧嘩売ってんのか大馬鹿野郎」という台詞しか出てこなかった。
勿論、このライブは素晴らしく、当のジャズ界の巨人“サッチモ”ことルイ・アームストロングに対しても、彼らに勝ることはないながらにも、大きく劣ることのない尊敬の念を抱いている。実際、一枚ではあるが、それらモダン・ジャズ(BEBOP)の勇に交じってサッチモのポストカードも実に失礼のないように部屋に飾っている。
そして、誰が何と言おうと、この時代の上にモダン・ジャズが築かれていることは、歴史的事実である。それなのに何故このように、わざわざモダン・ジャズ云々という戯言を番組の冠にするのか気が知れない。
誰よ、こんなコピーつけたのはよーっ!?
ま、誰でもいいや。でも、ピーター・バラカン、せめてオマエ止めろよっ!?

◎ピーター・バラカン司会のWOWOWの音楽番組『JAZZ FILE: スタッフ ライヴ・アット・モントルー 1976』
70年代の東海岸を代表するフュージョン・グループ“スタッフ”の歴史的ライヴ映像。
といっても、オレはその素晴らしさを理解し得るが、天才で売れっ子のスタジオミュージシャンの集まりには、どうも強く深い興味が持てない。恐らくこれは、オレが技術云々より確固たるコンセプトありきのバンドサウンド、そう、当にオレの永遠のアイドルであるマイルス・グループがその最たるもので、ローリングストーンズが言うところの、“全てのバンドのお手本”だと思うが、それを良質な音楽と信じているからだろう。
だからといって、彼らは素晴らしく、決して邪険にすることの出来ない存在だ。
今回のこの映像は、ドラムのスティーヴ・ガッド見たさに何時もの同僚に焼いてもらったもので、そのガットのみならず、『ウエザーリポート』のジョー・サンプルのインタビューが収録されていたことも嬉しかった。
このスタッフは、ベースのゴードン・エドワーズのリーダー・バンドを母体とし、キーボードのリチャード・ティー、ギターのエリック・ゲイル、同じくギターのコーネル・デュプリー、ドラムのスティーヴ・ガッド、今回はお休みだったようだが、やはりドラムのクリス・パーカーらのトップ・セッションマンによって結成されたグループで、ニューヨークを代表するリズム・セクションによる躍動感溢れるサウンドというのが売りで、フュージョンやジャズのみならず、広くその後の音楽シーンに多大な影響を与えた。
今回のライブは、よせばいいのに、途中、ヴォーカルのオデッタが飛び入りし熱唱するも、メンバーは全く無表情のまま、只管演奏に没頭し、熱いグルーヴを奏でているという、相変わらずの硬派なパフォーマンスが見所だった。


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2009年01月03日

大勝利宣言

12/22(月)〜〜24(水)

12/22(月)
日を跨ぐちと前から“大いなる目標”達成のため自粛していたDVD観賞に精を出す。
途中、丑寅の刻に深い思索を執り行い、5時に就寝。
起きると12時ちと過ぎ。
洗濯をし、熱帯魚・アロアナ&ガー120センチ水槽の水換え。場外へのフライングボディーアタックを試みて自爆したガーは、元気がないながらも何とか生き長らえていたので安心した。
16時半に予約した歯科クリニックへ立ち寄り、昨(土)に引っこ抜いた歯の跡、ぼっこり月面クレーターの如く穴の開いた歯茎の消毒をしてもらい、効きもしない痛め止めをもらい、クリニックの真下、新中野駅から夜勤へと出発した。
クリニックへはちと早目に着いたこともあり、治療は消毒のみであったこともあり、職場には何時もより40分近く早めに着くことが出来たので、明朝5時に横になる予定の仮眠室のベッドに、就業時間ギリギリまでまどろみ、歯茎の痛みにもんどり打ちそうになりながら、辛くも何時もどおり勤務に就いた。

12/23(祝:天皇誕生日・火)
夜勤から明けて珍しく休日。祝日なので減員体制。相変わらず痛む歯茎に、今日が休日で「助かった」との思い沸く。
しかし、予定通り、新宿で途中下車し、ヨドバシカメラで遂に真剣に新しいパソコンを、そう、ノートでしかもVISTA対応のものを何とか安価で、もしあるなら中古でも何でもお構いなし・・・とか何とか思っていたが、その相も変わらずの、そう、憤りを覚えるほどに、鐚一文まけないといわんばかりに、全く収まる兆候すらない歯茎の痛み。引っこ抜いた後、尚も痛み続ける右奥の外科的処置を施した歯茎。
で、折れた。心が折れた。痛みに屈し、新中野駅下車経由で実家で朝食にありつき、大人しく帰宅した。
まずは、懇ろなる深い思索。そして、DVD観賞。二本。その後、眠気に任せて就寝。爆睡。
起きると23時半。恐らく、16時頃には眠りに落ちていたと思われるので、7時間半は良質な睡眠を得られた。
でもやっぱり歯茎の痛み癒えぬまま。

12/24(水)
一昨日に同じく、やはりここでも“大いなる目標”達成のため自粛していたDVD観賞に精を出す。
途中、丑寅の刻に懇ろなる深い思索、7時にも朝の分に重ねて懇ろなる深い思索を執り行い、洗濯機を回し、相も変わらず、歯茎の痛みは一向にひく気配さえみせなかったが、どうせクリニックに出向いて消毒してもらい、痛み止めの薬をもらっても大して効くとも思えず、そのために歩いて往復40分をかけるとは還って痛みを助長するのではないかと危惧から、診療が開始される10時を待ち、「もう大して痛みませんので・・・」との嘘つき電話で予約をキャンセル、11時に就寝。
16時、携帯アラームのけたたましい電子音で起き。流しの食器類を片付け、夜勤へと出発した。

そう、そう、明け方、深い思索を終え、宴の間に戻ると、元気になったと思われたガーが死んでいた。
水面を漂うように泳ぐのがこのガーの特徴だが、ちと回復していない動きの鈍い嘴で、時折、直接空気を吸っていたことが気にはなっていたのだ。それも顎の下からその空気が抜けているようでもあったので、どうも下顎の関節がズレ、隙間が出来ていたようにも見受けられたが、残念ながらどうしてあげることも出来なかった。
そもそもがオレのうっかりが招いた悲劇なので、何とも悔しい話だ。そして、10年以上も一つ屋根の下で暮らしてきたので、まだ二匹いるとはいえ、何とも寂しい。

それから、100日闘争の“大いなる目標”は大勝利で終了をみたが、実に今年一年間、閏年366日一日平均90分の戦いの渦中ではある。
この100日闘争を一日平均120.6分で勝ち飾っていたので、恐らく、危なげなくクリアしているであろうとは思われたが、もし、そうでなかった場合、そろそろ得意の帳尻合わせに邁進せねばとの思いも募り、22(月)の夜に今年一年間の小計と、残り9日間のノルマを算出してみた。

   [分] 小計  一日平均
 1月  3515  113.4
 2月  2790   96.2
 3月  2120   68.4
 4月  3290  109.7
 5月  2540   81.9
 6月  2125   70.8
 7月  2315   74.7
 8月  2295   74.0
 9月  2040   68.0
10月  3625  116.9
11月  3460  115.3
12月  4040(22日現在まで)
 小計 34155(22日現在まで)

この時点で目標366日×90分 = 32940を既に1215分超過。
ここまでの一日平均95.67分。
ぎゃ〜っ
やった〜!!!
素晴らしい〜!!!
早、大勝利宣言!!!

ということだが、ここは一つ、折角ここまで来たのだから、といっても無理せず、ここまでの平均値をこの9日間の目標と、誉れの上方修正し、挑戦することにした。
騒いでみたが、焦らず、地道に獲りに行こう。
そう、これはそもそも時間をクリアするためのものではなく、世界桂冠詩人と奥様のご健康・ご無事と極悪打倒を成して、ついでに自身の様々な窮地の打開を成して初めて意味のあるもの、価値あるものなのだから。
日々更なる決意で前進あるのみ!!!

ともあれ、いいこと悪いこと、人生悲喜交々だ。
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2009年01月02日

こんな作品を観た−25

12/21(日)

◎『パーフェクト・ストレンジャー』
ハル・ベリー、ブルース・ウイルス共演ということで、公開当時話題になった記憶新しく、見ないと何処となく落ち着かない感があったのでチェックした作品。
映像が、ま、あくまでもハリウッド的だという域を出ないが、つまり、これといった工夫らしきものは感じなかったが、悪くなかった。
ハル・ベリーも、他の作品に比べると歳をとっているにも拘らず、あくまでオレの知る範囲ではあるが、なかなか魅力的だった。
落ちがあるので詳細は避けるが、ありきたりな推理サスペンスに最新の味付けをしたものに過ぎないが、この大どんでん返しにはやられてしまった。拍手!!!
ブルース・ウイルスの活躍はないに等しいが、それだけに全体をピリッと締め、何か起こりそうな予感を常に漂わせていたのがよかった。
内容は、ハル・ベリー扮する、議員のスクープを握り潰され会社を辞めた元新聞記者の話。
ある夜、幼馴染からブルース・ウイルス扮する広告業界の大物の不倫スキャンダルの話を聞いた。その数日後、幼馴染は変死体となって発見される。死の真相が広告業界の大物による口封じではないかと大スクープを得るべく、ハル・ベリーに思いを寄せる元同僚の力を借り、独自の調査を開始するも、ここで大どんでん返しがある。
インターネットをはじめ、様々なコミュニケーション手段が発達した現代社会のエッセンスを搾り出し、サスペンスへと仕上げたのがこの作品だが、そこにこの作品の秀逸さがあると見せかけ、実に犯人は大きな秘密を隠したまま“パーフェクト・ストレンジャー”=完璧な別人としてこの犯罪を完成させる。なかなか新鮮だった。

◎『こわれいく世界の中で』
ジュード・ロウ見たさにチェックした作品。
ヨーロッパの抱える問題にさり気なく掠らせていながらにして、登場人物の日常、苦悩などを淡々と描くあたりは、やはり日本やハリウッドのものとは違い、実にお洒落で、文化的で流石イギリスだ。でもアメリカも一応、共同制作国になっているが・・・怪しいな。
内容は、再開発が進むロンドンのキングス・クロス。ジュード・ロウ扮する建築士が友人と経営する会社のオフィスに窃盗団が侵入し、コンピューターなどが盗まれてしまう。
数日後にも再び盗難に見舞われたが、二人の共同経営者は夜のオフィスを見張り、ジュード・ロウは窃盗団の一人の少年の尾行に成功。住まいを突き止めるも、その細々と仕立て屋を営む母親に恋をしてしまい、客として近づき、遂には恋仲になってしまう。
丁度、その直前から同棲している彼女とその娘との関係がギクシャクしており、愛を求める本能とそれによる苦悩を、静かな情熱をもって推し進めていく。
結句、ジュード・ロウは、同棲している彼女に全てを打ち明け、逮捕された少年を庇うため、彼女の協力を得るも、母子は街を離れ母国へと帰ってしまう。
破局するかのように思われた同棲相手との愛は、何故か(オレにはちと理解不能)この事件を機に絆を深める。
巨匠アンソニー・ミンゲラ監督。
出演のジュード・ロウは、閉塞されたパートナーとの関係から偶然出会った女性との“偽りの愛”へと落ちていく男を、決してそれが男のスケベ根性による遊び心からではないという微妙な役どころを実に巧みに演じていたように思う。
また、彼と情事を重ねる母親役のジュリエット・ビノシュと同棲相手のロビン・ライト・ペンも、対照的で素晴らしい演技をみせていた。満足。

◎『グッド・シェパード』
オレの贔屓俳優マットデーモン主演作品。アンジェリーナ・ジョリーもその妻役として出演していたので、まずそれだけでご機嫌な作品だった。
そして、『バックドラフト』でもそうだったが、どうやらそろそろ皆、世界的大名優ロバート・デ・ニーロの正しい容量用法が分かって来たようでほっとした。そう、この人は物語には非常に重要でありながら、その露出を抑えなければならない。何故なら、その存在感に物語が喰われてしまうからだ。勿論、彼の圧倒的な存在感を売りにしたものならその是非を問うものではないが、物語がまともであるなら、劇薬並みにその容量用法について慎重にならなければならない。そういう意味ではこの作品はその模範ともなったろう、とかなんとか思ったら、当の本人が13年ぶりの監督を務めたと。ま、自分で自分のことをよく分かっているということに好感が持てた。
内容は、キューバのカストロ政権転覆を目論んだピッグス湾侵攻作戦がCIA内部の情報漏れで失敗する。マット・デーモン演じるベテラン諜報員がこの指揮を執ったのだが、実にその元凶が、同じく諜報部員の道に進んだ息子が不用意に恋人に漏らした発言からであったと分かる。
第二次世界大戦前夜、優秀であるがゆえに政治と歴史の闇の部分を担うことになって以来、戦中、戦後と優秀な諜報員として暗躍してきたが、その陰で妻と息子は孤独な生活を強いられていたというドラマと、この失敗とその原因究明を、話を前後させながら、実にじっくり見せていく。
総じて、その話にリアリティーがあろうがなかろうが、ここで登場する人物たちが織りなすドラマ、そう、騙し騙されする、そう、如何にもマット・デーモンの十八番な訳だが、その人間模様は、目を見張るものがあった。
また、実に映画的な落ち着いたトーンで、ある側面からの反戦映画の趣も持っていると感じた。
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2009年01月01日

目標達成

12/21(日)
結局、完徹した。
120分で“大いなる目標”達成だったが、気が高ぶっている所為か、はたまた引っこ抜いた右下の奥歯があった個所の歯茎が相も変わらず痛みを覚えていた所為か、何とも眠れる感じもなかったこともあり、1時間を超過させ、計180分の深い思索とし、100日闘争201時間を勝ち取ることが出来た。
超過の1時間は、執念の限界突破というより寧ろ、意地というより寧ろ、明らかに自身に対する見栄のようなものに過ぎないことは、如何にも下衆野郎といった感じで解せないが、これが自身で分かっているだけマシと、兎にも角にも大いなる目標達成の歓喜に包まれながら、正午、地域の方々と東高円寺駅で待ち合わせ、皆で信濃町へ向かった。
やった〜!!!
暖かく、実に爽やかな陽気だった。それはまるでオレの大いなる目標達成を寿ぐかのようだったが、よくよく考えてみれば、それは偏に、この喜ばしい日、そう、地域の名として世界桂冠詩人にその苗字を付けていただいてから15周年を迎える記念日お祝いしているのであった。
如何にも下衆的な勘違い野郎といった不届き千万な心の有体に、我ながらほとほと嫌になってしまった。
ともあれ、お目出度い日だ。そんなお目出度い下衆も、今日という日ばかりは、両手放しに喜んでよいだろうといった感じで気を取り直し、心晴れやかに記念の集まりに参加した。
席上、世界桂冠詩人から長文のメッセージをいただき、その他のことはどうでもよろしく、これまた歓喜に包まれながら帰路に着いた。

帰途、新中野駅で下車し、痛みは未だ激しく外科的処置を施した歯茎を襲い続けるも、まるでその治療が、遠い日の記憶であるかのように感じながら、昨日、その処置を受けた歯科クリニックの前を通り過ぎ、ブックオフで5冊ほどの書籍を購入、16時、実家に立ち寄り遅い昼食にありつく。
17時ちと前に帰宅。最近、まるで連続テレビ小説かのように、深い思索の休憩として、細切れにして観てきたDVD観賞を心置きなく始めるも、直ぐ様、強烈な睡魔に襲われ寝てしまう。
起きると22時。昨日、例の外科的処置を施した関係で、飲酒を禁じられていたこともあり、というか、癒えぬ痛みも飲んでしまえば緩和されるのではないかと考え、はっきり喋ることもままならないにも拘わらず、夜勤でお誘いを袖にしまった文筆業の先輩でもお誘いしてと連絡したが捕まらず、ならばご無沙汰しているエビサクさんでもと思いきや、丁度、床に就くところだとのことで、年末若しくは年始の再会を約し合い、ウチで大人しくDVD観賞に精を出すことにした。

因みに、場外へのフライングボディーアタックで自爆したガーは、元気がないながらも、とりあえず、生きてはいる。餌を食べられる状態までは心配だ。一日も早い回復を祈り、今後の行く末を見守る。

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2008年12月31日

こんな作品を観た−24

12/18(木)〜20(土)

◎『サイボーグでも大丈夫』
取り分け名画でもないのに、なるべく新目の邦画のチェックに努めている昨今、では韓国映画はとなると、「面倒だからそこまで手を伸ばせんっ」と、ちと尻ごみ。
そんなこんな状況だが、これは映像とその内容から、是非、劇場に足を運びたいと思ってはいたが、とうとう許されなかった『オールド・ボーイ』と『親切なクムジャさん。この作品はこれらに同じく韓国の鬼才パク・チャヌク監督作品ということで、何時もの同僚に頼んでDVDに焼いてもらった。
余談だが、オレの飼っていた4代目のウサギには、この『親切なクムジャさん』の主演女優であるイ・ヨンエさんのお名前を(無断)拝借した。これは馬面であったために売れ残った彼女(ウサギ)に対する嫌味とも餞ともなったことだと確信する(参考写真=姉妹ブログ『題名のための写真展』:2007年11月29日付記事【うさぎの嫁入り 別れの挨拶】)。
内容は、自分はネズミだと言い張る祖母が療養所に入れられて以来、同じように自分のことをサイボーグだと信じる女の子が主人公。
そう、この女の子が拒食症なのだが、この理由がサイボーグだから物は食べないという設定がまず見事だった。
で、そんな彼女が入院した精神病院で出逢った、人のモノなら持ち物でも特徴でも何でもかんでも盗むことが出来るという青年とのロマンティックなラブコメディー(かな?)。
ある日、彼に突拍子もなく、韓国の文化か、映画の世界観か、彼女の妄想か理解出来なかったが、一番の罪悪とされる“同情心”を「盗んでください」とお願いする、この台詞がなかなかよかった。
舞台となる精神病院は、パステルカラーで仕上げられ、それは、どこかメルヘンチックだったことで、本来痛々しい筈の設定を和らげ、見る者の集中をより物語へと向けさせている工夫のように思え、感心した。
主役のイム・スジョンの無機質でコミカルな演技も、今やアジアのトップスター・ピ(本名のチョン・ジフンで出演)のヒロインに想いをよせる青年役の懸命な姿も、実によく光っていた。

◎『厨房で逢いましょう』
今年観た中で一番素晴らしかった洋画。
テンションは低いが、それだけに心底お笑いのことが分かっていないと撮れないというブラックなものだった。
ドイツ&スイス映画。ハリウッドにはなかなかない趣のもの。といってもハリウッドには作る気さえないだろうが・・・。
南ドイツの保養地で小さなレストランを営む天才シェフ。
しかし、料理を作ることに全てを捧げ生きてきた彼は、孤高の天才。
そもそも食への執着が、妹を孕んだお袋さんのお腹を見て美しいと感動したこと。そして、男の自分は、食べることでせり出したお腹を獲得するという夢を持って、食べて食べて食べ捲り、舌の肥えたグルメたちも唸らせる料理の腕前と、巨漢を獲得する。
そんなシェフと出逢ったのは、地元の名家に嫁いできた主婦。障害のある娘を介し、ひょんなことからの出逢い。
その娘へのプレゼントとしてシェフが作った特製バースデ−ケーキを食べた主婦は、たちまちその味の虜になる。
やがて二人は親しくなり、シェフは厨房で主婦に料理を振る舞い、そのリアクションを見ることが最大の楽しみになる。
題名はここからきていると思われる。実にこの天才は名高く、この小さなレストランでディナーにありつくとなると、数字は忘れたが、相当先までビッシリ詰まった予約の順番待ちをしなければならない。で、店ではなく“厨房で逢いましょう”という訳だ。
で、で、この『厨房で逢いましょう』という行為が、主婦の夫の知るところとなり、逆鱗に触れ、シェフに対し酔った勢いで暴力に訴える。
しかし、シェフの主婦に対する恋心とは裏腹に、実にシェフの料理を口にするようになってからの主婦は、生きる喜びを取り戻し、ひとり娘がダウン症であることから、二人目の子どもを作ることを躊躇し、しっくりこない夫との満たされない関係を修復させていたのだ。
う〜ん、切ないね〜。
しかも、ある日、夫の暴力から逃れるため、木に登ったシェフの巨漢は、木から落ちたことで夫を下敷きにし、殺してしまう。
最後は、刑期を終えた筈のシェフを主婦が探し再開するという物語。
「何故そんな所が?」と評判のキャンピングカーのレストランの情報を知った主婦が、そんなに評判ならそのシェフの店に違いないと確信し、娘と、シェフの料理のお陰で身籠ることが出来た亡き夫との間に出来た息子を連れ、その店に赴き幕が引かれるあたり、その先はご想像にお任せするという、ハリウッド的には不親切な結末が、こちらのイマジネーション、その後の二人のあり方を想像させるあたりが、流石歴史ある国の作品と好感が持てる。
ま、料理に舌鼓を打って二度と会わないのもよし、主婦が単なるいちファンとして何事もなかったかのように常連客となるもよし、引っ付くのもよしだ。つまり、そこまで描く必要がないのだ。そう、映画の結論は、“上質な料理は人の生き方を前向きにさせる力を持っている”ということで、これは転じて料理のみではなく、“人の行い”というものは、縁する人の人生に必ず何らかの影響を持つという、非常に哲学的な背景を持っているように見えた。
そして、それでちゃんと笑えた。が故に今年観た洋画で一番素晴らしいと称する。

◎『四分間のピアニスト』
ドイツ映画。
いい。ある意味師弟のドラマでもあり、そうとは前面に打ち出さないが、強烈な反戦映画でもある。
物語の進行、囚人にピアノを教える老婆の第二次世界大戦下での辛い過去が、ある才能溢れる女囚、これが問題児な訳だが、この娘を指導していく内に詳らかに明かされていくという構成が、こちらの好奇心を大いに掻き立てる素晴らしいものだった。

◎『エルマリアッチ』
『デスペラード』、『レジェンド・オブ・メキシカン』をよく知っている者にとっては、今更感が拭えないながらも、後にそれら伝説的名画として日の目を見ることになる多くのアイディアが、既にこの作品の中に見ることが出来、作品そのものを楽しむというより、ロバート・ロドリゲス監督の原点を探るという楽しみがあった。
弱冠24歳。監督・製作・脚本ほか7役を兼ね、製作費僅か7千ドル(約77万円)という低予算。撮影日数14日間。
でもこれが後に彼の名を世界中に轟かせるようになるスローモションの多用など、低予算を逆手にとった撮影技法の数々が、一種独侍の面白い効果を上げているといわれている。オレも全くそう思った。
舞台はメキシコの小さな町。共同制作者が演じた主人公はマリアッチ。それにしても監督は、黒いギターケースを提げた黒い服のマリアッチが好きなんだなと、様々な逸話の検証より、そっちの方が感心した。
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2008年12月30日

見事なるAG そして 見事なるAU

12/20(土)
銀歯が取れた。
深夜、職場で差し入れのおにぎりを頬張っていたら、突然取れた。
瞬間、ガリッと異物を感じたので、てっきり絶品の芥子菜のおにぎりに石でも紛れ込んでいたのかと思ったが、口から出してみると、それは見事なるAG、つまり、銀だった。
それもオレの奥歯を模した塊だった。
そして、それはまるで昨(水)、少しでも“大いなる目標”達成のために深い思索に時間を費やしたく、奥歯の状況もそう大して悪いとも思えなかったので、近い内にまた顔を出せばいいと、歯科クリニックの診察の予約をキャンセルしていたことを、「迂闊な奴め」と嘲笑うかのように鈍く光っていた。

当務から明けて、帰路、丁度、中野富士見町駅の改札を抜けるや、診療時間となる10時。早速電話してみると、「空いた時間で応急処置をするので、お待ちになることを覚悟の上ですぐ来てください」とのこと。
予想外。
どうせキャンセル待ちのため、随分と後回しにされるだろうと高を括っていたが、こんなことなら駄目元で、東京メトロ新中野駅で降りておけばよかったと、ちと後悔。
ま、場外へのフライングボディーアタックで自爆したガーの安否を確かめたく、また、昨晩、職場で大量に差し入れてもらい余った、そう、当にこのおにぎりを食べていて銀歯が取れた訳だが、そのおにぎりを弟に押し付ける約束をしていたので、その約束通り、それを弟に押し付けると、一旦帰宅し、まるで競泳ターンでもかますようにして、直ぐ様、そう、弟のマンションの前まで、今来た道をそのまんま後戻りし、そこから今度は一路、新中野駅を目指した。
ガーは幸い元気がないながらも、とりあえず、生きてはいた。
ともあれ、何だか余計に時間を消費している。やはり人生“急がば回れ”も一理はあろう。

間髪入れず、「やはり抜いちゃいましょう」ということで、抜歯することになった。
小一時間。治療の最大の山場は、麻酔の効いたところで、力づくで引っこ抜くということのみ。
先日来お世話になっている男の先生、また、担当の女先生、そして、また男の先生と、二人が三度登場し、夫々の診療に並行して抜いてくださった。
歯は、相当悪い割に、かなり頑固で、なかなか抜けず。結局、割れたかなんかして、二回に分けて抜かれた。それも途中、麻酔の効いていない、ま、膿が溜まっていて、麻酔液が上手く回っていなかったのではないかということだったが、そんなポイントが出てきて、慌てて麻酔を打ち足すという場面もあった。
しかしながら処置中は、その痛みより、物理的に圧のかかった下顎の付け根が痛くてしかたなかった。
何らかの証拠の品となるのか、取れたAGの塊とともに、ファスナー付きのビニールの子袋に入れられ、二つに割れた右下の奥歯がオレに手渡された。
長い。
そう、長い。
故に随分と手古摺ったに違いない。

帰宅後、右半分に未だ麻酔が効いた痺れるような感覚。
気持ちが悪い。
しかし、この状態を脱すると、激痛に襲われるなど、どのような状況に見舞われるか分かったもんじゃなかったので、涎が滴り落ちそうな痺れた口のまま、賺さず深い思索を。
時間は忘れてしまったが、夕方、眠気に任せて仮眠。やはりその後も、途中、休憩がてらにDVDを観ながらゴロゴロしつつも、繰り返し深い思索を励行。

その後、麻酔が切れ、痛め止めが効かないほどに外科処置を施した患部、ま、簡単に歯を引っこ抜いた箇所が痛んだが、心配とは裏腹に、どうやらこれが幸いし、以後、それほど眠くなるようなことがなく、計400分の懇ろなる深い思索の時間を重ねることが出来た。
明日はいよいよ当日。
信濃町で開催されるその祝賀の集りは午後。
午前中に120分執り行えば、“大いなる目標”である100日闘争平均120分の深い思索を達成する。
帳尻合わせは決して格好のよいことではないが、何はともあれ、最後まで諦めずに挑戦してよかった。
とりあえず、これも見事なるAG。そして、翌朝の帳尻合わせを経て、見事なるAUへ、つまり、金の思い出になることだろう。
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2008年12月29日

見掛け倒し

12/18(木)深夜〜19(金)
場外へのフライングボディーアタックで自爆したガーを水槽に戻し、懇ろなる深い思索を執り行い、テッペンちと前に実家で晩飯にありついた。

実家では深夜にもかかわらずお袋が鼻息も荒く、「待ってました」とばかりに話しかけてきた。
そう、先日来、『親孝行らしきもの』として、女子美術大学の脇でオレが拾い集めてきた銀杏が、それを遡ること数日前、場所は忘れたが、いずれにせよ近所でお袋が拾い集めてきた銀杏に比べ、二周りほど大きく立派だというのだ。
こういったものが、大きいことがよいことなのか分からないが、とりあえず、立派と称されて悪い気はしない。
ともあれ、これが木の違いによるものなのか、時期によるものなのか理由は分かりかねるが、これほどまでにその違いが出るものかと感心した。
で、「アンタが拾ってきたヤツは見掛け倒しだったよ」と、その味比べにおいて吐き捨てられないよう、ちと祈ってみたい心境だ。
そして、奇しくも、奇しく扱いしてよいものやらちと憚れるが、この(水)、(木)と立て続けに、上下に渡り、新聞紙上に世界桂冠詩人の筆で、銀杏に関する文章が認められていた。
その中には、オレの尊敬して止まない文豪・ゲーテが、彼の家の庭の四季を彩った銀杏の葉は、「知者の心を喜ばす」と歌ったことが紹介されていた。
実にこの銀杏、その葉は知者を喜ばせ、その実はオレのお袋を喜ばせる素晴らしい樹であった。

明朝は当務故、朝の出勤となること、また、昨晩からの寝不足を取り戻しておくためにたっぷり寝たいところだったが、少しでも“大いなる目標”達成のために深い思索に時間を費やしたく、1時まで励行後、5時まで仮眠し、途中、休憩がてらにDVDを観ながらゴロゴロしつつも、出発の7時45分まで深い思索を励行した。

昨晩、腹を見せ水底に沈んでいた自爆ガーは、泳ぐことはないまでも、体を天地正常に戻し、相変わらずかなりゆっくりであったがエラを動かしていた。
好転。
予断許されないとはいえ、どうやら峠は越えたらしい。
このままどんどんよくなることを祈る。

祈るといえば深夜、仕事中だが一人となる時間帯も利用させてもらい、深い思索は計490分をマーク。今年最長記録を更新した。
勿論、時間をこなせばよいというものではないことは重々承知しているが、ある時間の中に質のよい時間帯も設けられることもあるし、兎も角、“大いなる目標”達成のため、ここは遮二無二時間を取りに行こうと思っている。

そういえば、元タレントの飯島愛さんが自室で亡くなっていたとのニュースを耳にした。
以前、芸能界でご活躍なされていたとき、随分と職場でお見かけしていたが、何時もどことなく気だるそうで、体調不良を理由に引退なされたときは、あ〜そうだったのかと合点いったのを覚えている。しかし、それは彼女のアンニュイな一面として捉えていたので、ブラウン管の彼女の元気のよさ、トークの切れのよさからは、体調不良を抱えていたことは想像も付かなかった。それでも気だるそうにしながらも、オレなどにもきちんと挨拶してくださっていたことを思い出すと、ともすれば、ちと軽蔑されてしまうような様々な人生経験を積まれてきながらも、人間として誠実でいらっしゃったんだなと、また、自身の体調不良が元で、他人に不快な思いなどさせないよう頑張っていらっしゃったんだなと思うと、胸を締め付けられる想いに駆られた。
ご冥福をお祈り申し上げます。
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フライングボディーアタック

12/18(木)
何時もの如く夜勤から明けて日勤をこなした。
強烈な眠気を誘発恐れがあったので、深い思索を執り行ってから、実家で晩飯にありつこうと一旦帰宅した。
そう、何としても“大いなる目標”を達成したく、この数日間は、人に会う用事がなければ、兎にも角にもそのことを最優としたかったこともあったのだが、ひょっとしたら虫の報せならぬ魚の報せとでもいおう何らかの予感が働いたのかも知れない。

玄関でここ2〜3日の新聞を片付け、ご挨拶に思索の間へ入室、荷を解くために宴の間へ移動し、部屋の電気を点けると、「うぐっ」と息を呑むほどに驚いた。
足元で、生き物の目が光っていたのだ。
スポテッド・ガー・パイク。
10年前のフラッシュバック。
でもそのときは20センチくらいだった。
流石にひいた。
45センチの、それも13年近く愛でてきた愛魚が、足元の、そう、もう少しで踏み付けてしまいそうなところに鬱血した状態で横たわっていたのだ。
何故?
水槽に目をやると、昨夕、夜勤に出発する間際に餌をあげるため、蓋としている植木鉢をちとずらしたままになっていた。
痛い。痛恨の極みとは当にこのことだ。
その隙間僅かに5センチ四方。
体長45センチあるとはいえ、この魚、棒のように細長い。
同居魚のアロアナに同じく、ジャンプ一番、飛び出ることがあるので、普段から注意していたのだが、それだけにこのうっかりは、魔が入るというか、間の抜けた話というか、実際、間から飛び出た話となってしまった。
シクッタ
暫くショックで身動き一つ出来ず、ただただ茫然自失、敷きっ放しの布団の上に立ち尽くしてしまった。
申し訳ない。そう、そして、その次の瞬間、そんな申し訳ないという想いで胸が一杯になった。
このガーは仲良し3兄弟として、今やウチのなくてはならない存在だが、かつて、そう、10年程前には、4兄弟だったのだ。
ジャンプ一番。ある夏の夜に帰宅すると、20センチにもなった、そう、ウチへ来たときはまだ皆、5〜6センチだったのだが、それほどまでに育ったその内の一匹が、やはり出勤時に餌をやるために開け、完全に閉め忘れてしまった蓋のない水槽から飛び出し、フローリングの床の上、よく見かける食用の干物のようになって死んでしまっていたという苦い思い出がある。
それだけに注意していたのだが、どういう訳かこんなことになってしまった。因みに、出勤時、急いでいた、慌てて出掛けたということもないだけに、これまた苦い思い出として悔やまれる。

ちと正気を取り戻し、何時も大きなペットが逝ってしまう度にそうしているように、弟宅マンションの庭に埋葬させてもらうべく、そう、年末年始に福島の知人の所に遊びに行く予定になっており、その間のウサギ=トロの世話を頼まれているので、その時まで遺体を冷凍庫にて冷凍保存しておこうと、大き目のコンビニ袋を裏返しにし、手袋のように手にかけ、愛でるように掴もうとすると、何とビックンと大きく身体をくねらせた。
お〜生きてる!?
敷きっ放しの布団の上に落ちたことが幸いしてか、とりあえず、打撲での即死は間逃れたようだ。
急いで掴んで水槽に戻そうとすると、あの鋭く多い歯がガッチリとシーツに喰い込み、それを外すのに梃子摺ってしまった。
シーツはどこからどう出てのか、出血と鱗を覆うヌメヌメで赤黒く汚れていたが、それは、もうすっかり乾いていたので、冬の空気が幾ら乾燥しているとはいえ、それなりの時間は経っていた筈だ。それになにより、ヒーターの入っている水槽が4本、所狭しと並びそれなりに暖かい部屋であったとしても高が知れている。シーツの汚れ具合から、また、鰭がボロボロになっていたことから察するに、相当暴れていたことは容易に想像が付く。厳しい条件下のみならず、生きているとはいえ、単に体力的消耗からも限界であることも容易に想像が付く。それなのに、よくぞ持ち堪えたと思うと、何だか悠久の歴史を進化を止めることで生き抜いてきた古代魚の生命力の逞しさというヤツを、恐ろしいほどに感じ入った。
しかし、水槽に戻すと、その甲斐なく、まるで沈没船のように底へその身体を横たえ、腹を見せて動かなくなってしまった。
息絶え絶え。
それでも時折、かなり鈍くだがエラを動かしていたので、どう考えてもその息の根が停まるまで、こうして水底に沈めて置いてあげた方がよかろうと、暫くそのままにしておくことにした。

それにしても魚たちは何故飛び出すのか分からない。何か不満でもあるというのか?
いや、きっとコイツは、天井からぶら下がる“千の顔を持つ男”あのルチャリブレの伝説の鳥人・ミルマスカラスとその実弟・ドスカラスのフィギアにフライングボディーアタックでもお見舞いしてやろうとでも思ったのだろう。
場外へのフライングボディーアタック失敗による自爆。





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2008年12月28日

こんな作品を観た−23

12/14(日)〜17(水)

◎『インベーション』
主演がニコール・キッドマンのSF作品ということで、何やら面白そうとチェックした作品。
ところがどっこい、そういったことに疎いオレを虜にし、髪形まで真似させている『007』シリーズでジェームズ・ボンドを演じているダニエル・クレイグが、二コール・キッドマンの相手役で出演していたので、テンションが上がった。
余談だが、ダニエル・クレイグのジェームズ・ボンド二作目となる『007/慰めの報酬』の前売りチケットは、そう、世界桂冠詩人が創設した協会、そう、そう、田舎者で無学な貧乏人の家の子に不釣り合いにも、両親が創設者の理念に感動し、それを支えるべく幼きオレが通ったバイオリン教室を主催していた教会を通じて、もうしっかりゲットしている。正月明けにでも劇場に足を運ぶつもりだ。
映画の内容は、ワシントンD.C.の精神科医である二コール・キッドマンと、互いに思いを寄せていながらも親友としての崩れざるスタンスを大事にしている同僚であるダニエル・クレイグが、謎のウイルス拡大の原因をいち早く究明しその阻止に乗り出すという話。
このウイルス、正体は地球外の伝染病というものだが、面白かったのは、実にこれによる奇病にかかると、ぼんやりした状態に陥るが、戦争したりする気もなくなるという設定。
また、ウイルスは人間が寝ている間に増殖、その人間の人格に影響を及ぼすという設定も面白く、これに感染してしまった二コール・キッドマンが、眠りを断つために苦悶するあたりが面白かった。
因みに、作品の冒頭は、この二コール・キッドマンが、眠りを断つために苦悶するシーンから始まり、物語の終盤、その理由が明らかになるという構成になっている。
全体を通して、二コール・キッドマンの持つ透明感と落ち着いた感じがよく出ているテンポと映像になっているが、ま、所々で取り乱す二コール・キッドマンもあり、テンションが低いながらも緩急がついていて、独特の緊迫感があったよかった。

◎『夜顔』
2008年、100歳を迎えるマノエル・ド・オリヴェイラは、汲めども尽きぬ泉のような創造への情熱を誇る監督マノエル・デ・オリヴィエラ。この直後に観た1967年のルイス・ブニュエル監督の『昼顔』の38年ぶりの後日談という設定の作品。
後にネット検索すると、「『昼顔』を見ていなかったり、覚えていなかったりするとよく分からない作りになっています。」とのご丁寧な評を見付けたが、どっちが先か後か分からず、何時もの同僚に頼んで焼いてもらったDVDに収録されていた順に鑑賞すると、この順番だったが、もし、この『夜顔』だけ観たことになったとしても、決して楽しめないものではないと思うのは、オレだけではあるまい。この評のように、そうでないとすれば、余程想像力の乏しい人に違いない。また、内容がよく分からなかったとしても、それはそれでこの映画の映像美や音楽、機知に富んだ台詞の数々を楽しむことは充分に出来る、映画としてしっかり完成された作品だったと思う。
『昼顔』で同じ役柄を演じていたミシェル・ピッコリさんという役者さんはこの『夜顔』でも出演を果たしているというが、それだけに残念なのがカトリーヌ・ドヌーヴさんの続投ではなかったことだ。しかし、ヌーヴェル・ヴァーグのミューズとして長きにわたってスクリーンを飾ってきた名女優と謳われるビュル・オジエさんというお姉さまも、ま、この『夜顔』の方を先に見たことも幸いしてか、至極素敵なお姉さまだったのでよかった。
内容は、ちと際どいというか、性に関するものだった。

昼の間だけ娼婦として欲望に身を任せる外科医の妻と、彼女の性癖を見抜き、彼女が欲望目当てに娼婦となることを導いた、旦那の親友が再開し、クライマックスとして食事をするという物語。
『昼顔』は外科医の妻が主人公であるのに対し、この『夜顔』はその旦那の親友を主人公とし、『昼顔』で説明の不足していた性癖についての解説も描かれていたことが面白く、街で見掛けた妻との食事に漕ぎ着けるまでの苦心が面白かった。
先にも間接的に触れたが、映像美、音楽、機知に富んだ台詞の数々、流石はヨーロッパ映画といった感じで、いうなれば、ある種の貫録のようなものを感じずにはいられなかった。

◎『昼顔』
スペインが生んだ鬼才・ルイス・ブニュエル監督の1967年フランス映画。
当時、スキャンダラスな女性ドラマとして問題視された小説の映画化。
大女優カトリーヌ・ドヌーヴが若き日に主演し、今尚、長い経歴の中で最も大胆な演技だったといわれる衝撃作ということでチェックしてみた。
昼間は娼婦の顔を持つ、人妻を好演。
幸せな毎日を送る外科医の妻である主人公の主婦は、性的な妄想にとり憑かれ、昼の間だけ娼婦として働くようになる。タイトルの“昼顔”は、そうして昼間だけ華開く主人公にピッタリとつけられた源氏名。
性をテーマにしてはいるが、単に悪戯に官能的であるというだけではなく、主人公とその旦那、また、彼女を性癖を見抜き、彼女を娼婦としての道へ導く旦那の親友、また、主人公の客として彼女に本気で惚れてしまい、挙句、旦那を銃弾で襲い、警官に射殺されてしまうチンピラをはじめとする登場人物たちの心理劇ともいえるだろう。
そういう意味で、やはりこれは官能的な内容は二の次に、その秀逸さに圧倒されてしまう作品だった。

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2008年12月27日

大いなる目標・・・もっと・・・ぎゃ〜っ

12/17(水)
夜勤から明けて日勤をこなし、上野駅前でしまさんと飲み、職場のソファーで30分ほど、銀座線に推定10分、丸ノ内線に20分ほどうつらうつらしただけで、基本32時間不眠で大酒をかっ喰らったが、何時になく清々しい飲み会を楽しみ、0時ちと過ぎに帰宅。

ナチュラルハイになりながらも、頭から離れることのないあること。
それは、すげえ巻かないと“大いなる目標”達成が危ういということ。
地域の名として世界桂冠詩人の苗字を付けていただいてから15周年を迎える、来るべく12/21目指しての100日闘争。一日120分の深い思索の励行を以て、これをお祝いしたいと進めてきたこと。
とりあえず、1時まで懇ろなる深い思索を励行。
きっとそんな緊張感に絶えず晒されていたのだろう。そう、上野での程よいほろ酔い加減は、“飲みながら喰う”というスローガンのお陰でも、こういっては格好が付かないが、しまさんに常磐線乗り越し防止の起こし連絡を入れるための緊張感からだけではなかったようだ。
健康のことを考えれば、もう少し寝ていた方がよいのだろうが、そんなこんなで5時にはバキンと目が覚めてしまったので、途中、ちとした休憩がてらにDVDを観ながらゴロゴロしつつも、10時に再就寝するまで懇ろなる深い思索を励行。

16時、携帯アラームのけたたましい電子音で起床。夜勤へ。

そういえば、昨日は、しまさんと飲みに出掛けてはいたが、仮眠時間を潰した甲斐もあり、深い思索は今年最長の385分をマークした。
しかし、今日を含め、いよいよ残り5日間となり、改めてここでまた電卓を弾くと、何とこの5日間の一日平均は、328分であることが判明した。
ぎゃ〜っ
328分って・・・5時間と28分だ。そう、約5時間半だわさっ〜!?
ぎゃ〜っ
諦めムードが漂いつつも、何としてもやり遂げたい思いも確か、そう、丁度、五分五分といったところが、正直なところだ。
ぎゃ〜っ
どうしよう・・・
ぎゃ〜っ
どうしようじゃねえよっ
ぎゃ〜っ
やらんかな!!!
すると・・・もっと・・・ぎゃ〜っ
泣いても笑っても後5日。
全力を尽くす、などとは生ぬるい。
そう、だからオレは、泣きも笑いもせず、普通にしていよう。
それも・・・もっと・・・ぎゃ〜っ
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2008年12月26日

ナチュラルハイというヤツ

12/16(火)
夜勤から明けて日勤。
5時から9時まで、といっても眠れるのは5時半、8時半ちと過ぎには起きなければ仕事に支障を来すその仮眠時間、何とも眠れる予感がしなかったので、すげえ巻かないと“大いなる目標”達成が危ういとの思いから、ここで一発逆転の狼煙を上げたいと、一睡もせず、仮眠室のベッドの上、姿勢を正し、懇ろなる深い思索を励行した。
7時までは上のベッドに歯軋り、鼾、寝返りの王様、メタボSが寝ているが、6時半も過ぎたあたりから、身支度へと退出していくので、一人っきりになれる。
う〜ん、静か。
仮眠室だから当たり前だ。
頭と体側の二方を壁、足と体側の二方をカーテンで囲まれたスペース。部屋全体は暗いが、その中だけは煌々と蛍光灯を付けて・・・。
こりゃいい。頗る集中出来た。

15時からの待機時間、特に仕事もなかったので、殆ど座ることのない居室のテレビの前のソファーに陣取り、30分ほどうつらうつらまどろんだ。
すると、しまさんからメール。
明日、薬剤師の仕事で朝からご出張のため、今晩中に常磐線に揺られ茨城へとお発ちになるその道すがら、オレも職場から銀座線一本で出ることが出来る上野で一杯どうかと。
しまさんのお誘いは何時も急だ、否、こうして改めて考えると、しまさんに限らず、オレへのお酒のお誘いの大半は、殆ど急なものばかりだ。
これはオレが余程暇と思われているからだろうか?それとも、オレという人間を取り巻く友人知人事情というものが、何かこう、突発的に物事を為そうとする者どもばかりなのだろうか?
そんな中、流石にエビサクさんは計画性に溢れている。そう、かなり前もってお誘いをいただく。でも、それでも、大抵は半日前だというのだから高が知れているともいえよう。
ま、夜勤から日勤、また、当務といわれる日勤から夜勤という長丁場の勤務に従事している関係上、その日その時の体調などを気遣ってくださって、敢えて計画的にことを運ばないように、そういったお誘いの仕方をしてくださっているのかも知れない。って、な、訳ないな。やっぱり思いつきで行動する者どもの渦中にいるに違いない。

それにしても今回吃驚したことが、お医者一家のセレブ育ちのご令嬢が集まる全寮制の名門で学問に勤しまれた、がやんちゃが過ぎてそんな学校ではすっかり浮いてしまわれていたというしまさん、「ジイ、わらわは急に遠出したくなったぞ、直ぐに馬を引いて参れっ」的な誘い方を、実はご自覚なされていたのだ。
JR上野駅。不忍改札口。待ち合わせ場所に姿を現されたしまさんは、開口一番、「何時も急でゴメンナサイね」と仰られたのだ。
「ええ〜っ、知っていらっしゃったのかっ!?」そう心の中で叫ぶと、オレは露ほどにも想像出来なかったそんな言葉に、気の利いたことの一つも返せず、「イエイエ」と首を振りながら零すのがやっとだった。

店は駅前の信号を渡った一階に有名な和菓子屋が店を構えるビルの地下一階『お酒 お食事 しん助』という、如何にも上野の大衆居酒屋然とした、店内にまるで白い花が咲き乱れるかの如くスーツの上着を脱いだYシャツ眩しいサラリーマンが所狭しと歓談に咽ぶ、古めかしい店に腰を下ろした。
因みに、しまさん生物が苦手でいらっしゃるが、オレが滅法弱い、勿論、目がないという意味で弱いという意味だが、にも拘わらず、気を遣って注文しないのではないかと、こうしてお酒を共にさせていただくようになってからこの一年、これを十重承知でいらっしゃるので、“本日のおすすめ”からお刺身を勧めてくださるのだ。
で、はまちとアジを遠慮なく頼み、舌鼓を存分に打たせてもらった。取り分けはまちは至極脂が乗っていて、実に惜しげもなく厚みで食べ応えのあるものだった。
大満足!!!
結句、常磐線の最終22時15分ギリギリまで飲んだくれた。
オレは30時間近く、ま、30分ほど職場のソファーでうつらうつらしたが、どう考えても寝不足状態で、しかも、何時も日記とすまいと思いながら、先日、初めてその沈黙を破り書き付けた受付嬢に対する不満に、この日、更に輪のかかったものに翻弄されクサクサした気分だったこともあり、随分と大酒をかっ喰らった。
しかし、最近心掛けている、“飲みながら喰う”という、罷り間違うと胃薬の宣伝文句のようなスローガンの下、アルコールを摂取するという昨今の事情が功を奏したのか、また、うっかり寝過ごすと福島まで行ってしまうというしまさんに、起こしの連絡を入れて差し上げなければとのちとした緊張感から、ほろ酔いという言葉がしっくりくる程度にしか酔うことはなかった。

帰途、そんな余力もあることから、久しぶりに上野の町でもぶらつき、あわよくば炭水化物にでもありつこうと、昨年、文筆業の先輩が入院していた病院の傍を通り、御徒町を通り、上野広小路まで歩いた。
ほろ酔いの頬に冷気が心地よかった。
そして、何故かその爽快な満足感からか炭水化物への欲求は何時しか消えてなくなっていた。
上野広小路から銀座線に乗り込むと間もなく、席に座ることが出来、このまま終点の渋谷まで流れても、なんのなんの副都心線で寝過ごしさえしなければ、然程の遠回りでもないと高を括り爆睡した。
何時ものオレなら先の寝不足事情もあり、十中八九、副都心線ではなく、この銀座線で泥人形と化し、時間一杯を行ったり来たりしてしまっていたことだろうが、やはりこの夜のオレはちと違っており、まるで機械仕掛けのように、はっと目を覚ますと、揺られた電車が赤坂見附に滑り込んだところだった。
赤坂見附からは実にラッキーなことに中野富士見町行の丸ノ内線に乗ることが出来、ここでは心置きなく爆睡に甘んじた。

中野富士見町に着くと、ちと小腹が減った感が鎌首を擡げて来たので、先日同様、セブンイレブンで買い物でもしながら、調子に乗って、またガクトモドキでも激励させていただこうとも考えたが、昼間、お袋から歳暮のハムを分けてやるから取りに来いとのメールをもらっていたことを思い出し、ハムゲットと晩飯にありつくため、実家に顔を出してから帰宅した。
因みに、しまさんも無事ご到着され、何時になく清々しい飲み会を楽しんだ。
が、これはきっと寝不足が過ぎ、単にナチュラルハイというヤツに陥っていたに過ぎないだけかも知れない。
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2008年12月25日

こんな作品を観た−22

12/13(土)〜14(日)

◎『ロバート・アルトマンのヘルス』
“健康食ブーム”を皮肉と風刺たっぷりに描く爆笑コメディー。次々と出てくる個性的な登場人物には注目。
監督は鬼才ロバート・アルトマン。そう、これで先日、何故『ザ・プレイヤー』をDVDに焼いてもらい観ようと思ったのかを思い出した。そう、これまで余り縁のなかった、聞きしに勝るロバート・アルトマン監督作品とは如何なものかとチェックしてみたのだ。
で、両作を通じて感じたのは、先にも述べた皮肉と風刺だが、面白いことにどちらも最後は皮肉られた方が、風刺された方が、どうやら勝者若しくはそれに準ずるものとして描かれていたところだ。これは凄い裏切り!!!
内容は、フロリダのとある豪華ホテルで、H.E.A.L.T.H.こと“健康によってもたらされる幸福と力と長寿”協会のコンベンションが行われる。席上、新会長の選挙戦が執り行われるが、TVショーの中継も巻き込み、その座を巡って物語が展開されるという話。

◎『キャリー』
何時か見ようとは思っていたが、これといってサスペンスに興味もなかったこともあり、その高名さを尻目にしてきた作品。
効果音はコントなどで随分と耳馴染んでいたが、本作での効果は流石に本家本元、素晴らしく奇怪だった。
内容は、苛められていた女の子が、実は念動能力者(テレキネシス)であった事から起こるサスペンス。
高校最後のダンスパーティーに、初めて男の子から誘われ参加した主人公・キャリー。しかも、ベストカップルに選ばれ、女王の座に輝く。今までに味わったことのない幸福。
しかし、これはヤラセ。授賞式の舞台、キャリーは頭から豚の血をぶっかけられ、辱めを受ける。爆笑の会場。血に染ったキャリーは、積年の恨みとばかり、遂にぶち切れ、会場となった体育館で大暴れする。
大した伏線もないまま落ちまでに随分と時間をかけているが、キャリーのキャラクターと、彼女を嵌める同級生の苦心などが、絶えずある種の緊張感を持っていたお陰で、退屈することはなかった。そう、たっぷりとした間合いが、如何にも映画的だったからだと思う。
同級生の一人に若きジョン・トラボルタがいたが、なかなかキュートだった。

◎『バックドラフト』
消火活動中、子供を助けて殉職した伝説的な消防士の二人の息子の確執故の葛藤と、日夜火災と戦い続ける消防士たちを描いたドラマ
放火犯探しというサスペンス・ドラマがサブ・プロットになっており、これにオレの苦手な、されど世界的大名優ロバート・デ・ニーロが絡んでくるも、その出番は少なく、かといって物語上、実に重要な人物であったという設定はなかなかよかった。
ロン・ハワード監督。残された二人の息子の兄と親父との二役にカート・ラッセル、弟にウィリアム・ボールドウィン。
火が読めるという、親父譲りの優秀さで仲間の信頼も厚い頑固者の兄貴に、職を転々とした末、故郷のシカゴに新米消防士として戻って来た優柔不断そうな弟という設定もよかった。
放火事件が政治的背景にあるが、その謎解きの道程で、弟はその政治に反発心を抱いていた兄貴による放火と疑う。最後、真犯人が同僚であったことに行き着くが、オレとしては兄貴の犯行若しくは冤罪という形にしておいてほしかったが、そこはハリウッド、ハッピーエンドでなくては集客率を上げられないというリサーチに基づき、兄貴への疑いが晴れた上、兄弟の真の絆が確かめられる。
本職には及ばないにせよ、仕事上、また、以前、六本木を包含する世界的大都市を管轄する麻布消防署の主催によるある年の消防訓練審査会でチャンピオンになった経験のあるオレとしては、不況故、大会参加に手の回らない事情止もう得ない昨今だが、優勝こそ無理にせよ、出来ればあと2〜3回は厳しい訓練を受け切って、せめて出場だけでもしたかったと、ちと画面の中の消防隊を羨ましく思った。
そういえば、今の仕事に就いてからは洒落にならない、というより、ファッション的にお洒落とは思われないので着ることのなくなった、アメリカの消防服を模したジャンバーを、この冬あたりは久々に着てみようかと思ったりもした。
因みに、兄貴が犯人若しくは冤罪という形がよかったとは、偏に兄貴役のカート・ラッセルが頗る気持ち悪かったからだ。ま、でも疑いを晴らした直後に死んでしまったので、由としよう。
で、カート・ラッセルは『エグゼクティブ・ディシジョン』と、『デスプルーフ』に限る。

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2008年12月24日

そっくりさん・・・な、訳ない

12/14(日)〜15(月)
朝4時頃寝、起きると10時半。インスタントラーメンを茹で、ワカメともやしをぶち込み啜る。
すげえ巻かないと“大いなる目標”達成が危ういと思いつつも、激しい睡魔に負け、DVDを観ながらまたもや寝てしまう。

16時、時間指定の受け取りの荷物があったので、携帯アラームのけたたましい電子音で起き、これを待ちながら懇ろなる深い思索。
18時半、約束の時間を30分も過ぎていたので、「ひょっとして」とドアポストを見てみると、『ご不在連絡票』が投函されていた。つまり、佐川さんは約束通り来てくれていたということだ。訪問時間を見ると“16時57分”。ドライバーの携帯も書いてあったが、18時45分には出掛けてしまうので、自動音声ガイダンスに従い、明日の配達を依頼。
オレの座していた“思索の間”は、玄関のすぐ脇ではあるが、室内のインターフォンは“宴の間”にあり、それも古いので音がピンプウォウォウォウォ〜ンと歪み、至極聞き取り辛いのだ。
毎度、危惧していたことだったが、“大いなる目標”のこともあり、今回は気が回らなかった。兎にも角にも、ドライバーさんに悪いことをした。
二度と同じ過ちを繰り返さないため、出掛けにインターフォンに「念のためドアのノックもお願い致します」という文言を書き付けたシールを貼った。

宇宙一大事な用事で方南町へ。
インターフォンに貼るシール作成もあったので、19時には僅かに間に合わなかったが、前座の、そう、今やすっかり出世した後輩のヤキトリ・ザ・ジャイアントの話の頭を聞き逃したが、それでも会場の最前列を陣取った。

トルストイとショーロフの子孫も参加していた。そう、そう、随分昔の話のように感じてしまうが、今回の宇宙一大事な用事は、既に先に発表されていた『トルストイの時代』賞の記念すべき第一回授賞式でもあった。
そこで、トルストイと親交のあったチャイコフスキーの曲を、何時ものシンフォニック楽団が演奏したが、何とこれに途中からかつてオレが青春の日々を送ったドラム・コーのスネアラインとピットパーカッションのスタンドベルの連中が、ともすると平和の団体に何故ミリタリー(軍服姿はたまた軍楽)がいるのかとのバッシングもあろうが、そんなことなどお構いなしに、白いブレザーに青白い顔をしたウラナリ野郎どもに交じって、基、白いブレザー姿も清々しい青年演奏家たちに交じって、登場した。
「お〜っ」と、先輩としては色めきだったが、それは次の瞬間、「思いっきり叩かせてやれよ〜」という失望の声へと変貌を遂げたが、ま、仕方ない、野外音楽の逞しきミリタリーのスネアドラムが、小太鼓なんていう和訳の響きなど、あくまで見た目のもの、ちと力を入れようものなら、演奏全体がかき消されてしまい、チャイコフスキーもへったくりもなかっただろう。何だかその本領発揮の姿を当たり前に拝むことが出来ず勿体ない思いに駆られたが、どなたのご配慮か、活躍とまではいかなかったが、世界桂冠詩人の前で演奏出来たことは、シンフォニックの青白い顔をしたウラナリどもに比べ、こういった場所での出番少ないミリタリーの後輩たちにとっては、大変に光栄且つ金の思い出となったことだろう。そして、ラッパ、カラーガード、マルチタムやバスドラ、シンバルをはじめとするその他のパーカッションの連中から妬まれ、虐められないことを願う。そう、どう考えてもオレなら物干し竿の如くフラッグのポールで、先に「ごめん」と言ってから後頭部を殴打していることだろう。ま、ま、ま、何にしても嬉しかった。
そういえば、今年研鑽しようと決めていたトルストイの著作は、『光ある内に光の中を歩め』、『人生論』、『クロイツェルンソナタ』、『悪魔』、『イワン・イリッチの死』、『復活』だが、今現在『復活(上)』の終盤を読み進めてるので、これから巻きをかければ予定通り読破の運びとなる。秋口、ひょっとしたらこれに『アンナカレニーナ』も加えられるのではないかと欲をかきそうになったが、どうやらそれは希望的観測に過ぎなかったようだ。
そして、その『アンナカレニーナ』も『戦争と平和』も何時か必要に迫られ紐解く時が来るであろうと、このリストから除外し、これでトルストイの著作に一区切りつけようと思っていたのだが、今回の世界桂冠詩人のご指導に、この『戦争と平和』からの引用があり、そもそもの目的が、著者への深い関心からというより、世界桂冠詩人の世界により近づくための研鑽であったことを再確認させていただき、来年、頭から暫くはこれの延長とし、『アンナカレニーナ』、『戦争と平和』を改めてそのリストに加えることにした。
そう、今、その必要とやらに迫られたという訳だ。機を逸することなくよかった。

更にちと遅れて出先から弟が参加していたので、終了後、明日から新たな職場でのスタートということもあり、前祝い、んっ、前夜祭、というより、景気付けか、いや、餞か、ま、どちらでもよいが、蕎麦屋でありながら、気の利いたちとした料理を出す『仲座和』で、奢らせてもらった。

0時ちと過ぎに帰宅。そういえば、炭水化物を入れてないなと、別に今晩くらい入れなくてもよい訳だが、帰路、ちょくちょく顔を出す99ショップで買ってきたおにぎりを3個を頬張る。大満足!!!
ほどなくして、DVDを観ながら就寝。

起きると10時ちと過ぎ。インスタントラーメンを茹で、ワカメともやしをぶち込み啜る。
すげえ巻かないと“大いなる目標”達成が危ういと思いつつも、また、たっぷり寝ているにも拘らず、激しい睡魔に負け、DVDを観ながらまたもや寝てしまう。
あれっ!?
今更驚くべきことでもないが、往々にしてそうだ。
日曜の前半と、月曜の前半は、極めてその行動パターン、生活ぶりがよく似ている。
日月はそっくりさん・・・な、訳ないな、本来は。

それでも昨日外した時間指定の荷物は受け取り、夜勤にも何とか出勤した。


posted by ありきたり at 04:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月23日

ためになった

12/13(土)〜14(日)
夜勤から明けて、そのまま珍しく土曜の日勤に就いた。
土日祝日年末年始が休業となる受付嬢の、若い女の子だから許されているのであろう非常識なお客様への対応などに苛々することなく、実に心持穏やかではあったが、その分、単純に、また、というより、たまたま来客尋常ではない多忙を極めたこのような日は、当然、その心持ちとは裏腹に、本筋の部分で疲労を余儀なくされた。
5時からの仮眠時間では、MAXの3時間を略熟睡で過ごすことが出来たが、やはり一週間の疲れが出たのだろうか、これはちとキツイものがあった。といっても数年前までの地獄の日々に比べれば、健康で、勤務時間も短縮した現在、それでもあり難い。勿論、その分、稼ぎがないことはキツイが、健康を第一との方向転換を図ってからのこの一年、ま、恙無く生活しているといってよい。様々なことに感謝!!!

帰途、今年最後となる地域の集まりでハルちゃん宅へ。
その後、実家に立ち寄り晩飯にありつく。
22時、帰宅。ペットたちに餌をやったりしていると弟からお酒の誘い。
弟宅へ行く途中、近所のコンビニ・ミニストップで買い物をすると、飲食出来るファミレス風の造りになっているスペースに、時間帯も風貌もその光景に不釣り合いな婆、基、お姉さま方の一団。
手を振られたのでよく見てみると、やけに白塗りのお袋。
他のメンバーに気付かれないよう、お袋に一礼して、そそくさと店外へ出た。
お袋の、といってもお袋は、逆にオレのウチの前の道を渡った地域に助っ人として来ている訳だが、そのお袋の地域の集まりも今年は今日が最後とみえ、婆どもは名残惜しくも、基、お姉さま方は名残惜しくも年に一度、年の最後くらい、基、週に2〜3度はこんな日があっても構わないじゃないかとばかりに、世界桂冠詩人の提唱する『10帰運動[テンキうんどう]』を破り、険しい顔つきで、反省会らしきもので屯しているようだった。

弟宅では、先日、何時もの同僚から焼いてもらって既に観ていた氷室京介のライブや、サッカー番組などを見ながら近況を話し合ったりしたが、途中、流石はNHK、ためになったという、楽しい番組があった。
それは、弟がタモリのファンということもありチャンネルロックした番組だったが、『タモリ倶楽部』のそれとは異なり、ま、画面はかなり似てはいるが、東京の街を散策し、その名所のいわれなどを散策して回るというもので、今回は、葛飾北斎の浮世絵に水車と描かれ、唱歌として名高い『小川』のモデルとなった今はなき幻の『渋谷川』があったであろう、原宿の路地裏などをはじめ、明治神宮、表参道という東京モンにとって、ま、それほどの馴染みもないが、知らない人はいないという(地方の方もか)スポットだっただけに、深い興味を誘った。
特に、明治神宮建設とその参道として出来た表参道にまつわる話は面白かったが、更にその中でも、あの明治の森は元々あったものではなく、当時、植えたものだというのであり、よくよく見れば、東京のど真ん中に、確かに松は不釣り合いであると感慨入った。
そして、オレはこの番組を見ながら、果たして当時の人たちが、ついこの前まで生きていらっしゃった明治天皇を本気で神様と崇め奉り、この一大建設事業を見守っていたのだろうかと思ったりしていた。勿論、右翼思想の方々に疑うところはないだろうが、その是非を巡る議論はさて置き、官と無縁の庶民は如何ばかりの思いで、これに携わり、またこれを傍観していたことだろうことは、非常に興味深い。

3時、寝不足の自覚が十分あったので、酔っ払って寝てしまう前に退散。
近所のコンビニ・セブンイレブンでちと買い物。後輩・ガクトモドキを激励させていただく。何時も同僚がいることで、明らかに込み入った話をされたくないとの態度余所余所しくも、今回は塩梅よろしく一人で仕事中だったので、僅かながらにも落ち着いて話が出来た。

帰宅後、DVDを見ながら買ってきたたこ焼きと餃子を頬張り、恐らく、4時半頃就寝。


posted by ありきたり at 02:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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